今日の一言 その122「童話 裸の王様」

こんにちわ!!

本日もお越し頂きまして、ありがとうございます!

 

一言シリーズですが 

浮かんだ言葉を、ちょこっと書いてみます

 

<裸の王様>

有名なアンデルセン童話ですね。

内容はご存じのとおりです。

その学びもご存じのとおりです。

 

今回は 

子供と 大人達が見えたモノに 焦点を当てて お話を進めます

 

こどもだけが言えました。
「おうさまは、はだかだ。」という真実を。

 

大人達は、誰も言えませんでした。

 

大人達は 周囲からの情報を信じるべきだと、

自分で自分を 一生懸命に説得していたからです。

大人達は「こうであって欲しい」という希望を観ようとし、子供達は真実を観て、「ありのまま」を指摘しました。

 

大人達は「ありのまま」が見えなかったのです。

 

 

大人は過去の記憶で眼鏡が汚れ、

「ありのまま」が見えなくなっています。

 

故に 

童話「裸の王様」を知っていたとしても、

まさか、王様が本当は裸であるという事が

自分には見えていないとは 想像さえしないわけです。

 

人は、基本、「ありのまま」を見ません。

 

なぜ?
自分が見たくないものから

目を背けたいという無意識が常に働き続けているから。

人が見ているのは、「こうであって欲しい」という希望的観測です。

人は、何か情報に触れるたびに、必ず、解釈というのをします。
「この文章は、こういうことが書かれている。」
「この人の話は、こういうことが言いたいのだ。」等々
 

この解釈の元は何でしょうか。記憶です

 

記憶とは 過去です。
 

新しい事を学んでいると見せかけて
過去の自分の信念を強化しているだけなのです
 

脳は、葛藤を嫌います。

故に 瞬時に解釈しようとします。

人は、物理的には見えているのです。

しかし

「自分の過去の経験からして、こうに違いないから」
と解釈するから、

「ありのまま」が見えなくなるのです。

過去の記憶に照合し、納得が行けば「正しい」

過去の記憶に照合し、納得行かないと「間違っている」

人は、本当は大切なことを、幼児の頃に学んでいるのです。
童話や絵本によって。

なぜ、童話や絵本は、時代を超えて、国を超えて読まれ続けるのでしょう。
本当に大切なことは、とてもシンプルだから

自分で真理を追究したという人はいつの時代も、数える程しかいません。

自分では真理を追究せず、誰かから教えて貰おうとする。
そして、教えて貰ったことを、希望的観測で盲目的に信じようとする。

その方が、脳が楽だから。 

故に 「ありのまま」が見えなくなる。

 

貴方の その教えは 誰からですか?

何を根拠に 信じてますか?

親? 学校? 会社? 宗教? 将軍? 主義? 陰謀?

政治? 天皇? 国? 時代? 風潮? 哲学? 占い?

法律? しきたり? 流行? マスコミ? 経済? 血液型?

業界? 取引先? 大企業? 金融? 社会? 等々

 

それは・・・・ 本当に見えていますか?

「見えている事」に していませんか?

「見えて欲しい」のでは ないですか?

 

果たして、「ありのまま」が観えている日本人は、

一体、何人くらいいるのでしょうか?
 

大切なことは、子供達に童話や絵本という形で伝えられ続けています。
ただ、童話や絵本の内容は 知っていたとしても、

 

まさか、大人になった自分達が 今現在

「裸の王様」が 観えていないとは 夢にも思わない。

なぜなら、
人が観るのは、「ありのまま」ではなく、こうであって欲しいだから。
 

童話「裸の王様」から、本当に学びを得ているのでしょうか?
効率よく情報をかき集めようとする前に、

まず、その情報を観る「心の眼」を綺麗にすることが何よりも大切です。

子供の様に 過去に汚れず 純真であれば、観えます。
「ありのままの真実」=「裸の王様」が

 

 

最後までお読み頂き

ありがとうございます!

 

午後も、頑張りましょう!!

 

ではまた♪

 

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